こんにちは、
普段はなんちゃってバリ嫁のなおみです。
今回は、バリヒンドゥ教の伝統的な弔いの儀式についてご紹介しようと思います。
バリ島の一般的な火葬の儀式は、神輿のような祠とお供え物を運ぶために行列を作り
故人の家から近くの墓地まで移動するため、見た事がある方も多いかと思います。
ですが、その火葬を行うまでには、他に沢山のプロセスがあるんです。
それらはバリ人の家の庭で行われるため、観光客には見る機会が無いのが普通。
また、仮に見るチャンスがあっても
「葬儀を見学する」
という行為が失礼ではないかと、日本人なら躊躇するのではないでしょうか?
そこで、バリ人の夫の家族と25年暮らしてきた中で知った
火葬までにする事について、ご紹介してみたいと思います。
因みに…
バリ島でお葬式の火葬のことをガベンNgabenまたはペレボン Pelebonと言います。意味は同じですが、「ガベン」より「ペレボン」の方が
少し丁寧な言い方になるためここでは「ペレボン」で統一しています。
火葬までのプロセス
主に、下記の主な3つの儀式を行いますが、次の章でそれら以外にどんな事をしているのかご覧下さい。
Ngajumガジュン 針を使ってシンボルに証を残す
Pelebonペレボン 火葬
1 家族・近い親戚でのミーティング
まず、男性が中心となり、火葬までにどの工程まで行うのかの確認や共有、役割分担を決めます。
葬儀までの工程は、日本の場合、親族が松・竹・梅から選べますが、バリ島の場合、
階級によって決まってくるのですが、下の位から嫁いできた嫁などの場合、どうするか家族が決めたりします。
作業内容の分担は基本、
男性がデコレーション
女性はお供え物や食事手配
が一般的で、その中で細かな役割分担を決めます。
2 家族の手で遺体を洗う
家の庭にあるバレと呼ばれるガゼボの上に遺体を移動し、身体を洗います。
日本の湯灌(ゆかん)に似ていますが、お湯ではなく花を浮かべた水で行います。
バリ島の家の中やカゼボの床はタイルなので、
濡れてもワイパーやモップで簡単に手入れができる仕組みになっています。
局部のみ黒い布を乗せて覆い、石鹸も使って洗った後は、バリの民族衣装を着付け
【バレ】と呼ぶカゼボの台の上にが安置所となります。
その際使う道具は、全て新品を使う事になっています。
・ティカール(ゴザのような敷物)
・バケツやタオル
・手桶
・石鹸
・櫛
・鏡
・枕
・黒い布(局部を覆うため)
・生花(水に浮かべたて洗う時に使う)
などを使います。
ご遺体の保存方法
昔は氷でしたが、氷の番をする係も大変なので、近年はホルマリン注射が一般的です。
また蟻が来ないよう蟻よけチョークで台の周りを囲ったりもします。
3 祭壇を用意
庭の【バレ】では生前同様に扱うため、近くに祭壇を設けて、
3度の食事はもちろん、水、コーヒーやお菓子など
衣装と併せてお花やお線香、ろうそくを灯します。
このろうそくの火は親戚の男性陣(主に若者)が朝方までゲームをしたり雑談をしながら見守りをしてくれたりします。
4 食事やお菓子・飲み物手配
どんな儀式にも共通して必要な食事の手配ですが、火葬まで連日
準備のために来てくれる親族の分も用意します。
また親戚や友人・知人など関わりのある方が手土産を持って訪問してくださるので、
火葬までの期間は常に、飲料水やおもてなしのお菓子、食事、紅茶と珈琲などを用意します。
また接客用のお菓子とお水を入れて配るための箱作りをしたりもします。
5 デコレーション
男性陣が竹を切ったり削って遺体安置場所のガゼボの囲いや、体を洗う儀式用の台などを作ってくれます。
6 火葬日の決め方
通常、火葬までの期間は3日から1週間程度が一般的ですが、
稀に2週間以上先にする事も有ります。
その理由は、バリのカレンダー上、日によって向き不向きがあるので
良い日どりを高僧のご自宅へ伺い選んでいただきます。
タイミングによっては、お盆や誕生祭、清める儀式などのお祝い行事前と重なる場合、
それらの儀式が終わるまで保留にする場合もあります。
7 聖水の手配
お供え物を持参し、周辺の関係があるお寺の聖水を頂くための予約をしに直接出向きます。
我が家の場合7カ所ほどあり、親戚と手分けして数日前にお寺をまわります。
こうして予約した聖水は、当日親族が分担して受け取りを手伝ってくれたりします。
8 スタンバイ
主賓家族は、家にご挨拶に来てくださる親戚、友人、職場の方などの接待の為に
常に衣装を着て待機します。(上は普段着でもOK)
バリ衣装の下は近年、ストレッチが効いたタイトスカートタイプが主流なので
伝統的な布を巻くスタイルよりずいぶん楽で、長時間でも疲れにくく過ごせます。
9 祈祷師さん宅へ行く
これは、トランス状態になられた祈祷師さんから、故人の希望や意向を聞くために訪問し
何を持って行きたいのか、言い残したことはないか?などを知るチャンスとされています。
<実際のエピソード>
義母の子供、嫁、孫まで10人ほどで訪問し、義母の希望を聞きに行った際、
「青いカマン(衣装布)とタイで買ったTシャツ、カバンと眼鏡を忘れずに」
との事で、親族一同、義母を知る由もない祈祷師さんから
このような発言があったことに対してとても義母らしいと納得たりしました。
会話中は、声の高さこそ違うものの、話し方や仕草がそっくりで、
生前好きだったアボガドジュースを飲んだり、ハンバーガーを食べたり、
10分程和やかな会話ができた気がしました。
因みにアボガドジュースやハンバーガーは、こんな事もあろうかと持参していたのですが、
一般的に、祈祷師さんの所に行く時は、故人の好きだったものを持って行くのが定番だそうです。
Nyiramin ニラムイン
家の中庭で、参列した親戚なども含む皆に見守られながら
ご遺体を洗う儀式を執り行うのですが、局部を黒い布で抑える以外は、裸の状態になるので、
その姿を大勢が見守ることは日本人なら驚きでしかないでしょう。
私もその感覚を知った時は驚きでした。
このプロセスがある事で、バリ島では遺体を見る機会が日本に比べてとても多いと感じます。
また、通常午後3時頃行われることが多い儀式です。
その際に使う道具(石鹸やタオルなど)は全て新品。
高僧のお祈りの後、鼻にはジャスミンの花、目の上には5円玉のような形の硬貨を置き、
女性はメイクをして白い布、ゴザで包むと飾りと共に元の位置に安置します。
Manah Toya Ning マナトヤニン
この次の項目の「ガジュン」で使う聖水を頂くために、川の畔にあるお寺へ出向きます。
お寺内の池の水をくみ上げる際に、蓮の花を挿した矢で射る行為が特徴的な儀式で、
これは必ずするものではなく、省かれる場合も多い儀式です。
Ngajumガジュン
故人がすぐに次の世界に旅行できるように、親族の願いが込められた儀式で、
日本のお焼香と似た動きをします。
短い縫い針を108本用意し、
関係者の親戚や子孫が一人1本ずつ持ち、白い布の上の古い硬貨で模った
人の形に似たキャラクターの手や指、脚の部分に順番に針を刺す儀式。
刺し終えると、人と同じように布や腰巻の衣装を着せるように置いたり、
櫛で頭部を撫でて髪をとかすような仕草をします。
高僧のお祈り後は、布で包み遺体と一緒に置きます。
Ngaskara ナスカラ
故人の精神の浄化を意味する儀式。
この浄化は、関係する霊が神と団結して、まだ人間界にいる
故人の魂のガイド役になることを目的として行われます。
Palebonパラボン(火葬)の日
早朝
火葬儀式当日は、早朝4時頃から墓地へ出向き、庭のガゼボの囲いや
届いた花の飾りなどを運び先に燃やします。
移動時と燃やしている間は、ガムラン演奏隊が同行し本格的な伴奏を伴います。
午前中
その後、家に戻り、火葬に向けた支度をするのですが、今回【ルルナイン】と呼ばれる伝統的な髪型にしました。
これは、本来墓地までお供え物を運ぶ行列の際、ご遺体を運ぶ牛の棺桶がある場合にする髪型で
お供え物を持つ係の親戚と所属する集会所の女性陣が同じスタイルにします。
コロナということもあり、牛の棺桶は使わなかったものの、
盛大にお見送りをする意味でスタイルは採用されたという訳です。
【バンジャール】という集会所のメンバーのお母さん達もお揃いの衣装と髪型で昼前にはスタンバイします。
葬儀でも記念写真を撮ることは顰蹙とはとらえない、むしろ記念に残したいという考え方なんです。
通常は、年頃の若い女の子を担いで行列と一緒に墓地まで移動するのですが、
今回はそれも簡素化。
本来は娘がその役になるはずだったので、残念がっていました。
遺体を運ぶ祠が高い場合、竹の棒で電線を持ち上げながらゆっくり担いで運びます。
バリ島新年ニュピの前日のオゴオゴ時と同じです。
因みに、王族の大きな儀式になると電線を切って地面に這うように一旦設置し、
行事が終了してから改めてつなげるという大掛かりな作業をします。
どれほどバリ人がこの儀式を大事にしているかが伺える出来事ですよね。
車輪をつけて安定した状態で運べるようになっています。
この祠を墓地まで運ぶ途中の交差点では、必ずこの世界との別れのシンボルとして、
反時計回りに3回、祠を回転させてから墓地に進むの決まりがあります。
そして、祠から前に長く広げた白い布は、親族が持って墓地まで歩きますが、
交差点で回転する時は、放して丸めて祠と一緒に回り、また伸ばして持つんです。
私が住むデンパサールのエリアは、墓地へ遺体を運ぶ行列は、昼の12時から12時半ごろが一般的ですが、
地域によって朝から行う場合もあるそうです。
因みに…
この儀式の際、故人の家から墓地に出発する時間が遅いと ”故人がのんびりした性格だった”
また、予定より早く出発した場合は ”せっかちだった”
などと考えたりするそうです。
午後 墓地での様子
墓地に到着すると、遺体を焼くためのバナナの木の幹で出来た囲いが用意されていて、
このタイミングで、祈祷師さんに聞いた故人が「持って行きたい」と言っていたアイテムを添えます。
この後、お坊様のお祈りがあり、焼く担当の方が火をつけてくれますが、
写真の様に見ようと思えば見える状態でになっています。
ですが周囲はとても熱くガスバーナーのゴーーという響音と共に、
もの凄い勢いで焼かれ、完全に灰になるまで約2時間ほどかかります。
その間は、親族は墓地の敷地内の屋台で買い食いをしたり雑談をしながら待ちます。
集会所のメンバーたちは、点火したら帰っても良いという暗黙の了解のタイミングがあるので、解散していく人が多くいます。
海まで遺灰を流しに行く人はそのまま墓地に残る事が多いですが、家が近い場合は、一旦休憩に帰ったりする人もいます。
約2時間後、遺灰を拾い海へ行く準備に入ります。
海へ行く際は、個人の車やバイクでを使う以外に、大型バスも用意したりします。
デンパサールの場合、クタビーチまで行くので、約10キロの道のり、昔は徒歩だと思うと驚きです。
ビーチでもお供え、お祈りを済ませてから海に遺灰を流します。
あとがき
このように、大家族が交代で力を合わせて協力する仕組みは、
互いにいつか我が身だと知っているからだと,
改めて感じる場面がいくつもありました。
輪廻転生を信じているバリヒンドゥでは、故人の魂は、しばらくして時期が来ると
家の敷地内のお寺のご先祖様が祀られている場所へお座りになり、またいつか生まれ変わるというもの。
悲しみはあっても、笑ってはいけないというような雰囲気ではなく、
皆で一生懸命伝統にのっとって見送る姿が見られます。
因みに今回私は、【コンスムシ】と呼ばれるお菓子や食事、飲み物担当係だったのですが、
コロナとは言え、たくさんの訪問者が来てくださり、
初日に用意したお菓子箱500箱は、火葬前日には足りなくなったほど盛大なお見送りとなりました。
また、合間に、撮影記録係も兼ねていたので撮影した映像は、
ユーチューブでも公開しています。動画でご覧になりたい方は是非。